画:森山開次

プッチーニ:歌劇 ラ・ボエーム ニュース・メディア情報

[特別対談]井上道義×森山開次

本プロジェクトを牽引する井上道義(指揮)と森山開次(演出・振付・美術・衣裳)の特別対談を実施しました。
2019年の全国共同制作オペラ『ドン・ジョヴァンニ』で初共演したふたり。2023年のバレエ音楽『火の鳥』での共演を経て、3回目にして最後のコラボレーションとなる今回の作品に対する意気込み、そして出会いからお互いへの思いまでを存分に語ってもらいました。

取材・文:室田尚子(音楽評論家)
撮影:Tomoko Hidaki

――まず、井上マエストロに伺います。なぜご自身の最後のオペラに『ラ・ボエーム』を選ばれたのでしょうか。

井上 歳をとると人間色々とダメになる。よく「枯れた芸術」などというけれど、僕はそれは疑っている。僕は中学生の時に「人はどうやって生きていったらいいのだろう」と考え始めたんだけど、世の中が虚飾で満ちているならば、思いっきり嘘をついてやろうと思って、舞台で一生を終えたいと考えたんです。だから最後に、素晴らしい嘘を舞台でつくりたいと思って『ラ・ボエーム』を選びました。この作品には殺人も、政治も、宗教も、差別も出てこない。人間の純粋な感情だけが描かれていて、“青春”そのものだと思う。もう決して手に入らない青春への憧れがこの作品を選ばせました。

――森山さんにとっては『ラ・ボエーム』はどういう作品でしょうか。

森山 この作品はどこをとっても美しさであふれていますが、じゃあその美しさはどこからくるのか、と考えた時、屋根裏部屋で若者たちが愛や夢を抱きながら脆くも強い愛の言葉たちを紡ぐ、その言葉たちにのせた危うくも熱い音楽がとても美しく響くんですね。僕自身も若い頃、愛に溺れ芸術に生きようとしたヤンチャな日々があり、アーティストとしてとても共感ができる作品ですし、また、観る人にとっても王様や偉人の話ではなくごく普通の人たちの話であるという点で、共感できる部分があるんじゃないでしょうか。

――森山さんは、前回の共同制作オペラで井上さんと上演した『ドン・ジョヴァンニ』で、ダンスを巧みに取り入れた演出で話題となりましたが、今回の『ラ・ボエーム』ではどのような演出プランを考えていらっしゃいますか。

森山 『ラ・ボエーム』では、新たにダンスの要素を加えるというよりも、歌手の皆さんに元々備わっている身体表現をどう届けていくか、という点に焦点を当てたいと考えています。その人の出立ちから仕草、たたずまいといったものをより丁寧に描いていきたいんです。また、歌手以外に4人のダンサーを起用します。ダンサーというのは「なにものにもなり得る身体」なので、音にリンクさせたり、絵を描くという身体動作もダンスになりますし、彼らをそうした芸術の息吹として舞台上に存在させられたら、と考えています。

井上 今、日本では生活の中から踊りが駆逐されてしまっているよね。お稽古事としてバレエをやる子どもはたくさんいるけれど、それは日々の生活とは違う。本当は毎日の生活の中にダンスがあるんだ。朝起きて「くーっ」と伸びをする、この動作だってダンスじゃない?

森山 だから「身体表現」という言葉を使っています。僕は街でいろんな人の動きを観察するのが好きなんですが、そういう仕草からにじみ出てくる表現というのはあるんですね。ただ舞台上で演技となると自然なたたずまいがなくなってしまうので、それぞれのキャラクターがいかに自然に動くかということを身体表現として考えたい。

――ところで、おふたりの出会いはどんなものだったのでしょう。

森山 10年ほど前に、入院中の井上さんから電話をもらったんです。「ラヴェルの『ボレロ』を一緒に踊らないか」って。この時は結局実現しなかったんですが、その後、石川県立音楽堂のお仕事をする中で、音楽監督でいらした井上さんと交流が始まり、2019年の『ドン・ジョヴァンニ』で初めてご一緒することになりました。

井上 森山君は、自分の中のマグマとは別に、人の持っているものを発掘する力のある人。僕はそのことを金沢で発見したんです。子どもや障がいを持った人など、いろいろな人の能力をポジティブに捉えて、その人が踊ったり演技したりすることを喜ぶように持っていく能力がすごい。それは教育者といってもいいぐらいで、踊り手としてすごい人はたくさんいるが、演出家として人を動かす、人の心をオープンにさせる能力を持っているところがいいなと思いました。

森山 僕、実は音楽座で初めて出演したミュージカルで演じたのがドン・ジョヴァンニ役だったんですよ。だから『ドン・ジョヴァンニ』演出のオファーをもらった時は本当に嬉しかったです。

井上 初めてのオペラ演出だからもちろんできないこともあったけれど、その時に「自分はバカだ」と落ち込んだりしないで課題としていく。成功して嬉しいと舞い上がることもない。非常に冷静で自分を客観視できる。森山君はその能力がすごい。どんどん自己改造していくので、最初はモーツァルトでしたが、今やイタリア・オペラを任せることに何の躊躇もないです。

――森山さんは、オペラというジャンルについてはどんな印象を持っていましたか。

森山 実は関わる前はあんまりよく知らなかったんです。何しろ初めて舞台というものを観たのが、高校の音楽鑑賞会でしたから。その時は面白くなくて一番後ろの席で寝てたんですけど(笑)2回目が大学に入ってかなり病んでいた時に兄からチケットをもらって観に行ったミュージカルで、音楽座の『マドモアゼル・モーツァルト』でした。その時、「こんな世界があったんだ」と大きな衝撃、というか、悔しいという思いでいっぱいになりました。でも実は、高校の音楽鑑賞会の時も音楽座だったんですよ!

井上 え、それは2回目の時に「高校の時に観たあいつらだ」ってすぐにわかったの?

森山 わかりました。同じ舞台でも観る側のその時の心境や体調によって舞台がものすごく価値のあるものにも全然響かないものにもなる、ということを最初に体験しているので、今、自分が作品を作る時にも、人に与える影響力というのは常に同じとは限らない、というのが大前提となっています。

――井上さんは、そんな森山さんと最後のオペラを一緒にやるということについて、どう思っていらっしゃいますか。

井上 幸せ。Very happy。

森山 歳をとれば体が動かなくなっていくのは当たり前ですが、そこに抗って死ぬまで踊りたいという願望を持ってスタートしたけれど、実際、今後どうしていくべきなのか、というのは井上さんのお話から大いに考えているところです。舞踊家として何も動かずただそこにいるだけで何かを表現できるかというと、僕はそんなことはやりたくない。むしろその時動けていたら俺はやる、という思いもあり、その辺で葛藤していますね。

井上 舞踊家や指揮者だけでなく、医者でも政治家でも、引き際が大事。若い人たちはそういうジジイやババアを駆逐していくべきだし、こっちはやられたい、負けたいんだよ。

森山 井上さんと仕事をする時にはいつも身体中のツボを押されるような、ビリビリした刺激を受けるんですが、芸術のバトンを渡される、という意味でも今回の作品には大きな意味があると思っています。